こんにちは、FPの吉田です。
今回は「長期投資家はなぜ長期投資を信じるのか?」という、些かトートロジーじみた話をしてみようかと思います。
このブログでも昨年後半から、物価上昇くるぞ、円安くるぞ、金利上昇もあり得るぞ、というような話をしていましたが、今やそれに加えて”食糧危機”まで叫ばれるようになってきました。
ウクライナ情勢が端を発していると言えるわけですが、実のところ「天候不順」の影響もかなり大きな要素を占めています。例えばインドは小麦の生産大国ですが、今年は干ばつにより不作に陥っています。実はアメリカやカナダも昨年の干ばつにより不作となっており、その影響で小麦の価格は大きく上がっているのです。
このあたりについては最近のブログでも話していますのでご参考に。
一方、2020年3月の「コロナショック」により大きく下げた世界の株式市場は、V字回復したのちも順調に右肩上がりを続け、最高値を更新し続けました。
これは言わずもがな、各国の政府・中央銀行による金融緩和による影響です。コロナで実体経済が動きようがないなか、その余ったお金は金融資産に向かうのは当然のことでした。
そして現在は歴史的な物価上昇をうけて、政策金利を上げる、量的緩和を終了する方向に向かっています。(いや日本以外はね^^;)
そうなると今度は株式や債券市場からの資金の撤退が起こります。実物資産に裏付けのある株式ですら、一時的にはインフレや金利上昇に勝てないのです。
ここまでざっとこの2年くらいを概観してきましたが、仮に意味が分からないとしても、
すべては繋がっていて、波のように動いている
ようなイメージが浮かんできたなら、私としてはしてやったり、な感があります。
良い時も悪い時も、最後は平均に帰ってゆく
さて今回のお題は、なぜ長期投資家は長期投資を信じるのか?でした。
先に答えを言ってしまうと、「長期的には、市場は右肩上がりをするものだと信じているから」となります。
市場は調子の良い時もあれば、調子の悪い時も必ず存在します。しかし調子が悪いからといっていつまでも悪いわけではなく、いずれ「あるべきところ」に戻っていきます。良い時も同じで、いつまでも浮かれて有頂天でいられるわけはありません。いずれそれも「元のさや」に収斂していきます。
こういうのを一言でいうと、「平均への回帰」と言い表されます。
ではそれを確認するべく、下の図を見てください。
これは「MSCIワールド」という、先進国株式指数の数十年にわたるグラフの一部を表しています。
すごく簡単に説明すると、アメリカの株式市場や日本の株式市場、英国の株式市場など、世界の先進国の株式市場を合成したものとなります。要するに「世界の先進国の株式の動きってこうなっているんだよ」というのをひとつのグラフに表したものです。
すると、2000年のITバブルや2008年の金融危機など、バブルの生成とその崩壊を繰り返しながらも、なんだか右肩上がりのようになっていることが分かると思います。
そして赤で引いた直線が、さっきで言う「元のさや」であったり「あるべきところ」のラインになります。
このラインを間にとって、良い時には大きく上がり悪い時には大きく下げるのですが、均してみると一本の右肩上がりの直線のようになるわけです。
もしこの見方を採用するなら、いま投資したものは長い目で見れば確実に上がっていることになります。20年後や30年後は、今よりも右肩上がりの直線上に位置するはずだからです。
これが、長期投資家が長期投資をする根拠です。
長期で資産運用する間には必ず、市場が猛烈に色めきだったり楽観的なときもあれば、この世の終わりといわんばかりに悲観的なときもあります。しかし長期投資家はそこで一喜一憂するのではなく、ただひたすら淡々と投資し続けるわけです。
なぜなら長期でみれば市場は右肩上がりで成長するものだと思っているからです。
なぜ市場は右肩上がりだと思えるのか
その理由は、お金の総量は今後も増え続けると考えるから。
パンデミック以後、財政政策により世界のお金の量はそれまでと比較しても格段に増えました。これは一種のドーピングであり、今後そのドーピング部分は各国の中央銀行によって回収されるかもしれません。
ただ本質として、経済はお金の量を増やしていきます。信用創造という仕組み上、お金は増えるようにできているのです。経済活動を伴うかぎり、それが失われることはないでしょう。
そして経済活動というのは、限りあるパイを奪い合う行為ではなくて、パイを大きくする活動なのですよね。
そうなると経済成長は今後も続くだろうし、実体経済に裏打ちされた株式価値も成長し続けることになるだろうというわけです。
いや逆にですよ、経済も市場も右肩下がりになり続けるとしたら、それはどういう状況なのでしょうか?
もしこの立場を取るのならば、具体的にそのイメージが出来ていないといけません。
私が思うに、その世界はもうお金に価値を置いていない社会になっているんじゃないかと思います。
お金の機能に価値を置いていないのなら、資産運用なんてする意味ありません。それに代わる手段が発明されているかもしれませんが、とりあえずお金のいらないユートピアっぽいものになっているかもしれませんね^^
でも、そこに賭けるのは今のところ夢想すぎてあまりにも根拠が薄弱すぎる。それならば右肩上がりにベットしといたほうが良いでしょう、という話なのです。
平均は移動することを知っておく
ところで先程の図を見ると、現在の先進国株価はひじょうに高値圏にあるようにみえます。
もし赤で示したライン、つまり平均に帰っていくとしたら、かなりの暴落になる可能性を頭に入れておかなければなりません。
ここ1~2年で「周りもやっているから~」と気軽にNISAやiDeCoを始めた方は、もしかすると阿鼻叫喚の世界に晒されるかもしれません。そのための気持ちの準備はしておいたほうが良いです。
しかしながらここで言っておきたいのは、あの赤のラインは絶対的に固定された何かではないということです。
あくまでもここ何十年かの平均を取ったものに過ぎません。
ということは今後の市場の動き方次第で、あの赤のラインの傾きは変化するということになります。
もっと急になるかもしれないし、もっと緩やかになるかもしれない。
そうすると、思ったよりも株価は下落しないかもしれないし、もっと暴落するかもしれない。そこはもう先になるまで分からないのです。
つまり平均は移動するものなので、あまり固定化して考えないほうがよいと思います。
平均回帰のいろいろ小噺
平均への回帰というのは、世の中一般にごく普通にみられる現象だとされます。
例えばゴルフのスコア。
たまたま初日のスコアがもの凄く良かったとします。スコア66とかね。でも2日目は大崩れして80とか叩いたとしましょう。
そうすると、初日の好スコアがプレッシャーとなって2日目崩れる要因となった、などと説明されることが多いですね。
でもそれは、ただ単にその選手相応の平均スコアに戻っただけ、ともいえるわけです。
何かと因果関係で説明されるものが、実は平均に帰っただけ、で説明できるケースは非常に多いようです。
今の例だと、初日と2日目は両極端のスコアでした。でも例えば初日66で、2日目73とかだとどうでしょう。何か平凡なスコアに戻っていった感じがしませんか?初日のスコアが良いから2日目も良いだろうと思うのは、勝手な思い込みに過ぎないのですよね。
さてこうした平均回帰的なものは、諺のなかにも見受けられますよね。
例えば「禍福は糾える縄の如し」であったり「人間万事塞翁が馬」であったり。
良いことが起きたのなら、次は悪いことがやって来るだろう。先人はそういうことを知っていた。だから人生はそういうことを捨象していった先にあることが分かっていたのです。どう生きたかが表される、それがまさに今回でいう「平均」に表れるのです。
そう、挙式で行われるキリスト教式の誓いの言葉、あれもそれに近い感じがしますね。
健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り真心を尽くすことを誓いますか?
というアレですね。
良い時も悪い時もあるのは当たり前なんだから、基本的にはその関係性の平均値を高めていこうぜ、という響きが感じられるのです。
禍福は糾える縄の如しと同様の言い回しは、やはり世界中にあります。
例えば…
ドイツ「幸不幸は一本の坂道を進む」
フランス「今日はご馳走、明日は棺桶」
スペイン「辛いことの後に楽しいことが続く」
ルーマニア「幸福と不幸はコインの裏表」
ネパール「花が咲き蕾は微笑み、今日は私明日はお前」
チベット「長い道のりに百の曲折、長い人生に百の苦楽」
などなど…。
なんだか単純なような、深いような。
これらの人生訓は、その根本には「紆余曲折があったとしても、平均的には右肩上がりに成長しなはれ」という思想を含んでいるように思います。
傾きが緩やかであれ急であれ、その人なりに過去の自分よりも成長できたな、と感じられるのならそれが良い人生でしょうし、人が成長するなら経済や市場も同じように成長するでしょうと。
だって人間が営むことですので。
と、それっぽいことを言って今回は終わりたいと思います。
何にせよ、長期で資産運用するときには、どういう理由で長期的にするのかの根拠を得ていただければ幸いです。
では。