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将来を計画することと、今を生きることのバランスを取ること

こんにちは、FPの吉田です。

皆さん「ライフイベント表」って作っていますか?こんな感じの表ですが。

10年先とか20年先とか、何年先でもいいんですが、「○○年には私は○○歳だな」などということを可視化するために表にします。そして先々に予定されているイベントを書き込んじゃうのです。マイホームの購入とか、自動車の買い替えとか、公的年金の受け取り開始などなど…。

こうすると、ボヤっとしていた先々の予定がとてもリアルに身近に迫ってきます。

日頃の生活の中では一日という時間は長いので、頭の中に思い浮かぶ将来のことは、どうやってもボンヤリします。でもこのように表という形にすると、ギュッと詰まったような、強制的に濃縮されたようなかたちで人生が迫ってくるのですね(笑)

A4だかA3だかの紙にペラっと描かれた自分の年表は、自分の棚卸しを切実に迫ってくるという点でとても良い刺激になりますので、一度作ってみていただけたらと思います。

さて先々の予定を、さっきは「公的年金の受け取り開始」などの客観的なイベントを上げましたが、もっと主観的なことを取り上げてもいいのです。例えば「将来の夢」「将来こうありたい姿」でもOKです。

他人にはあまり言いたくないけど、5年後にはこうなっていたいんだよね、みたいな。

そういう個人的な将来の目標とか計画を盛り込んじゃう。自分で作るぶんにはそういうのもアリですよね。

まさに自分だけの「将来計画表」

お子さんがいらっしゃるなら、お子さんの「10年後の姿」をこのような年表にしてお子さん自身に書き出してもらうのもいいですね。将来どうなりたい?じゃあ、1年後は?2年後は?…などと親子で話しながら書いてもいいかもしれない。

それでピンとくるかどうかは分かりませんが、もしかするとお子さんの心情に何か変化をもたらすかもしれません。

将来の目標を持てるようになったり、具体的に計画を立て始めるようになったら、それはそれで頼もしい姿に映るかもしれませんね。

目次

将来を見通せないアメリカの若者たち

ところでアメリカでは、ミレニアム世代やZ世代が「貯蓄なんか意味ない。やる気ない」というようなことを言い始めているみたいです。

LIFE INSIDER
ミレニアル世代もZ世代も貯蓄をしなくなった「物事が正常に戻らない限り、意味があると思えない」 ミレニアル世代とZ世代は将来のための貯蓄をしていないそうです。その代わりに、外食、新しいアパート、趣味など、「今」にお金をかけているといいます。

(ミレニアム世代というのは今の20代後半から30代、Z世代は10代から20代前半くらいまでの人々です)

もともとアメリカ人は家計の貯蓄率が低い傾向にありました。コロナ・パンデミックに対処するための財政政策により、一時的に米国の貯蓄率は跳ね上がりましたが、コロナ禍からの回復過程で再び貯蓄率は元のように下がりました。

ある調査によると18歳から35歳の成人の45%が「(社会が)普通に戻るまでは貯蓄に意味があるとは思えない」と回答しています。

普通に戻るまで、とはどういうことなのでしょう?

彼らによると、それはパンデミックによる隔離生活だったり、ロシアによるウクライナ侵攻だったり、国内政治の不安定性だったり、急激なインフレだったり、住宅価格の高騰や気候変動問題などがない、解決された世界のことを言うようです。

それら波風のない状態を普通とするなら、そんな普通の状態って過去の歴史にありましたっけ?と思わずにはいられませんが、彼ら若い世代にとってはトラウマティックな経験であり、厭世観を抱くには充分なのかもしれません。

そんな彼らはお金を貯蓄せずに何に使っているかというと、「いまを楽しむ」ことに使っているようです。

一寸先は闇のような、不確実性が高く将来が見通せない今の時代にあって、貯蓄が効果的だと思えないというのは一理あります。

それならばいまを楽しもう、経験にお金を使おうとするのは分からなくもない話です。今どきの快楽主義といえるかもしれない。

引用元記事の若者へのインタビューでは、こんな言葉が出てきます。

「私はファイナンシャル・ニヒリストなんです」

その虚無主義はあなたにとって意味のあるものか?

ファイナンシャル・ニヒリズムとは、お金に関して虚無主義だということ。

ニヒリズム(虚無主義)といえばドイツの哲学者ニーチェが有名ですが、少しその考え方を確認しておきましょう。

ニーチェの生きた19世紀後半は、科学的合理主義が支配した時代です。それまで絶対的だった神の存在が揺らいで、信ずるに足るものは無いんだという退廃ムードが漂った時代。

同時に「これで万物の原理が説明できる」とされたユークリッド幾何学やニュートン力学が、どうやら通用しないぞ?ということが分かり始めた時代。科学も万能ではなかったことが明らかになってしまった。

絶対的に価値があるとみなしていたものの信頼が揺らいだとき、人は何に頼ればよいか分からなくなります。中世までなら神が生きる目的や価値を与えてくれていたのに、その支えを失ったらどう生きればよいか分からなくなるわけです。

こんな時、人生に価値なんてないんだ、意味がないんだ、目的なんてないんだ、と考えます。これが虚無主義ですね。

ということはファイナンシャル・ニヒリズムは、お金なんて無意味なんだ、価値なんてないんだ、と考えているということになります。

ミレニアム世代やZ世代の生きる現代は、あまりにも激動の時代であって、その割には自分を超越する絶対的なものの存在も価値も見出せなくて、生きる意味・意義を見失っている感があるというわけです。

ニーチェはこういう態度を消極的ニヒリズムと呼びました。

一方で、このように世の中に対して斜に構えたり嘆くだけでなく、もっと積極的に楽しんでいこうぜ!というタイプのニヒリズムもあります。

引用元記事でも、単に快楽主義的にいまを楽しむばかりでなく、情熱を持って取り組めるものにお金を使う、将来のことを心配ばかりしないで、もっと今に集中するんだという考え方のもとにお金を使う若者を紹介しています。

世の中に絶対的なものはないんだから、自ら意味や価値を見出して動いていこうとする態度、これはニーチェ的にいえば積極的ニヒリズムとなります。

これらはイマドキらしい考え方ですね。

将来を計画すべきか、今を生きるべきか

最初に紹介したライフイベント表、これの用途はまさに将来を見通して逆算して計画を立ててみようとするものです。

しかしミレニアム世代やZ世代が感じているように、将来はあまりにも不確実すぎて計画を立てることに意味がないようにすら感じます。

ほんの十数年前までスマホやSNSなどなかった時代。この10年程度を思えば、世の中で起こった出来事や変化は数多くまた深かったのではないかと思います。

翻って「私」自身はどうでしょう?

10年前の自分と比べて、変化はあったでしょうか?

大きく変わったよという方もいれば、特に何も変わらないよという方もいると思います。

もし10年前、もっと将来のことを考えて計画を練っていれば、人生は変わっていたかもしれないと思う方もいるでしょう。

もっとあの時を真剣に情熱を持って物事に取り組んでいれば、いま見る景色はきっと変わっていただろうに、と思う方もいるでしょう。

どっちが正解なんでしょうか?…どっちも正解なんでしょうか?それともどちらも正解じゃないんでしょうか?(だとしたらもの凄いニヒリストですね^^)

あなた自身はどうですか?

人生に価値を与えるもの

下の写真は、第2代国連事務総長だったダグ・ハマーショルド氏です。

wikipediaより

彼はスウェーデン人で、米ソ冷戦の狭間で存在の危機にあった国連の機能を蘇らせるとともに、外交政策・安全保障政策の礎を作り国連平和維持活動を発展させることに貢献した、いわば現代の偉人です。

そんな彼は、コンゴ動乱の停戦調停に赴く途上にて、飛行機の墜落事故により命を落とします。

米国とソ連という超大国間の緊張関係の中で独立した機関として国際公務を行うこと、各地で頻発する紛争に国連事務総長が直接赴き調停活動をすることなどは、当時としてそう簡単にできることではありませんでした。そこを粘り強く、また使命感を持って取り組む精神性などは、没後の今をもっても称賛され影響を与え続けている人物なのです。

ハマーショルドの死後、日記が見つかります。そこには敬虔なキリスト教信仰者らしく、神との対話のような形式で書き綴られていました。

さて、なぜ突然ハマーショルド氏を紹介したかというと、彼の残した日記からは、その瞬間を生きることについての深い洞観があり、そこから示唆を得られると思ったからです。

国連事務総長という激務にあった彼と私たちを結びつけるのは少々無理があるかもしれませんが、私たちの生活に関わるヒントが得られるかもしれません。

そこでいくつか紹介したいと思います。

現在の瞬間に意義があるのは、われわれを未来へと渡してくれる橋としてではなくて、それ自体の内容のゆえなのである。もしわれわれにその内容を受け取る力さえあれば、それはわれわれの空虚を充填して、現在の瞬間に立つわれわれの内容となるのである。

『道しるべ』p.65

その瞬間以来、≪振り返らぬ≫ということが、また≪明日を思いわずらわぬ≫ということが、いかなる意味のことであるかを、私は会得したのである。

『道しるべ』p.190

ここまでは、いまを生きる派にとって優勢なようです(笑)

国連事務総長という仕事の重責のなかで、その瞬間瞬間を大事にしなければならないというのは、とても合点がいく話です。

でも、私たちが思う「瞬間を生きること」とは何かが違うとも感じませんか?

現在のなかですべてを為せ。現在のためにはなにごとも為すな。また、将来におけるおまえの名前やおまえの安息という意味でも、将来のためにはなにごとも為すな。

『道しるべ』p.150

これまた同じような訓戒ですね。

将来安心したいからといって、そのために何かをしてはならない。また将来にかかる名誉欲や承認欲としても為すべきではないと。

人生に価値を与えるもの、おまえはそれに手を届かせることもでき、また、それを失うこともできる。おまえはそれをけっして所有していることができない。これはとりわけ≪人生にかんする真理≫についていえることである。

『道しるべ』p.28

むむ、少し抽象的になってきました‥。

だれが―あるいは、なにが―問いかけたのか、私は知らない。いつ問いかけられたのか、私は知らない。私には、それに答えたという覚えがない。しかし、いつかあるとき、私はだれかに―あるいはなにかに―よし、と答えたのである。

まさにその瞬間から、生存には意味があり、したがって、私の人生は己を虚しくして服従することをつうじてある目標に到りつくものとなるのだ、という確信が私の心に生まれてきた。

『道しるべ』p.189

ニヒリズムのところで少し言及しましたが、覚えているでしょうか?

ハマーショルドはキリスト教徒です。つまり神という「絶対的な存在」を信じていたということです。

となると、生きる意味や目的は神から与えられるもの、という感覚を持っていたことになります。

生きることに意味なんてないんだ、というのではなく、かといって自分で意味や価値を作っていくんだ、というのでもなく、ただその時が来るまでひたすら現在のなかで為し、準備していたということです。

為すべきことを為す、そうすればいずれ自分の為すべきことが分かる。それを受け入れる勇気を持つ。

そんな感じでしょうか。

引用の最後に、ある総会でのハマーショルドのスピーチを紹介しておきます。

「山上の垂訓」のなかに、明日のことを思い悩むなという教えがある。

「明日のことは明日自らが思い悩む。その日の悩みはその日だけで十分である」

長期的な視野から実践的な計画を立てることは政治家が日常的に行っていることだが、これほど、この訓戒から一見かけ離れているように見えるものがあり得るだろうか。にもかかわらず、この教えはわれわれが平和と正義のための活動のなかで身に着けておくべきある種の忍耐力を表すのにふさわしい表現だと言えるのではないだろうか。

(中略)

もちろん、「今日の悩み」や「明日のこと」について説いたこの教えは、将来の結果について、慎重かつ責任ある配慮をすることなく行動してもよいということを意味しているわけではない。…

最後に少し現実世界に引き戻してくれていますね。

将来の結果やそこからくる責任に対して、なにも考えなくてよいとするわけではなく、やはり長期的な視点から計画立てていることも分かります。しかし結果に固執せず日々を忍耐強く行動すること。それでしか生きることは成し得ないということを言っているのだと思います。

毎日だらだらと無目的に生きてるんじゃねーよ、というのは、さすがに当たり前なわけですね。

人生は実は偶発性に左右される

計画的偶発性理論」というものをご存知でしょうか?

ジョン・クランボルツ氏が提唱したキャリア理論です。

慎重かつ綿密に立てた計画。いまから10年後の自分の姿を想像し、今年はこれを成すことを目標にし、来年はこうなっていて…というような将来計画。

ところが、そうした綿密な計画どおりに事が運ぶことは実際には少なくて、その間に予想外の出来事や偶然が自分のキャリアに大きな影響を与えていた。振り返ってみると、そんなことはなかったでしょうか?

偶然の出会いや新たな趣味などが、想像もしなかった方向に自分を運んでくれる…そんな偶発的な出来事を大事にし活用することで、人生をより豊かな方向へ切り開いていくと考えること、これが計画的偶発性理論です。

人生は転がる石のようであるから、計画に固執せず、こうであるべきに固執せず、その過程で起こる偶然や想定外に身を委ねてみよう!…こう考えると、将来計画を立てることに、とても前向きになりませんか?

計画的偶発性理論は「計画的」と「偶発性」という相反する言葉を組み合わせていることに魅力があります。偶発性を計画する、そんなことが出来るのか?と思うかもしれませんが、意識的でないにせよ、皆どこかで経験のあることなんですよね。

ですから、これをより意識することで自分に呼び込むことは可能であろうと思います。

計画的偶発性理論では、その意識すべき点について5つほどの要素を上げています。

  1. 好奇心を持つこと
  2. 粘り強く忍耐力があること 
  3. 柔軟性があること
  4. 楽観的であること
  5. リスクを取る姿勢を持つこと

これだけではまだ分かりにくいかもしれません。そこでもう少しイメージが湧くように、クランボルツ氏の著書から分かりやすい表現を引用してみます。

  • 想定外の出来事を活用する
  • 選択肢をオープンにする
  • 非現実的な期待から自分を解放する
  • 悪い選択肢に固執しない
  • 職業目標と”結婚”するな
  • 結果が見えなくてもやってみる
  • 成果に結びつくようなリスクを取る
  • 新しいことを発見する
  • 興味は変化するものと考える
  • 失敗は恐れない
  • 常にベストを尽くす
  • 自分のスキルを過小評価しない
  • 自分の楽しめることを経験から学ぶ
  • 学び続ける

いかがでしょうか?

これ以外にもピンとくる言葉があるかもしれませんが、よければクランボルツ氏の本を読んでみてください。

さて、親であるとわかると思いますが、「将来の夢は?」とか「なりたい職業は?」などと子どもに聞いてしまいがちなのですが、

「そんなもん、お前が子どもの頃だってたいして何も無かっただろうに」

というのを無視して質問していることが多いんですよね。

なんとなく今決めた目標に縛られ、それに向かって延々努力させられることほど意味がないものもありません。

だいたい今なりたい職業を決めたところで、これから新しい職業はいくらでも生まれてくるわけですから。

大人であっても同じことです。将来の予測を今しても、1年後にみる将来の予測すらどうなっているか分からない。

であれば、ハマーショルド氏やクランボルツ氏が言うように、長期的な視野に立って計画するとしても、それは常に移ろうものだと肝に銘じて、いま為すべきことを為す、というのが現実的に取りうる態度だろうと思います。

決して偶発性を忘れないようにしながら。

あらためて、FPによるライフプランニングを考える

ミレニアム世代やZ世代は貯蓄をしないという話をしました。その理由は、未来が不確実だからだ、ということでした。

しかし少し考えればわかることですが、未来が不確実だから貯蓄をしないというのは、理屈としては直接結びつきません。

そして未来が不確実であることなんて当たり前のことです。

ならばいま一度、計画をするということと、いまを生きることのバランスを、自分のなかで取るべきだろうと思います。

ファイナンシャル・プランナーによるライフイベント表作りやライフプランニングなどは、そうした自分のなかの現実と向き合うのに良い機会になるとともに、きっと良い助けにもなるだろうと思います。

最後は少々手前味噌でしたが、もし将来のことと今を生きることとの間で悩んでいる方がいれば、今回の記事がその解決の一助となれば幸いです。

では今回はこれで。

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